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​しょこつがわガイドマップ

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豊かな自然と、今へ続く歴史の跡を辿る冒険の書

「しょこつがわガイドマップ」へようこそ!

発行日:2021年3月15日

<発刊に至る経緯>

渚滑川流域の観光案内や地域案内はほとんどが自治体や観光協会など自治体単位でのものである。当会は渚滑川上下流の住民が一体となって取り組んでいる。

そこで渚滑川とその流域の中で、自分たちが紹介したい場所を独断と偏見で取り上げることにした。2021年3月に完成し、各方面に配布した。

 

<第2版発行>

 その後、要望にこたえる形で再度発行することを決め、その際に近年この地域で流行しているミウラ折り(簡単に開いたりたためたりできて、折りたたむとポケットサイズで広げると約A2 サイズになる)を採用することにした。

ゴールデンウィークに間に合うように作成され、滝上町の道の駅で販売している。

主な制作メンバー

タケさん

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サトーかんちょう

ひろさん

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しょこつがわ連携研究会代表!山・森・歴史・地理、地域のことを何でも知ってるスペシャリスト!とにかく子どもたちが大好き。

元紋別市立博物館の館長!アイヌ文化はもちろん、紋別地域の自然環境や歴史文化なんでも知っている…!

アイヌ文化、松浦武四郎のことが大好きな永遠の22歳。なんとこれまで誰もやっていなかった「西部志与古都(しょこつ)誌」を現代語訳!

←google mapのリストでも確認頂けます!

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ミウラ折版もご覧ください!

渚滑川について
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​北見山地の最高峰天塩岳(標高1557m)を源流とする、滝上町と紋別市を流れる渚滑川。総長84㎞、流域面積1240万平方kmの一級河川です。 滝上町市街地の付近は大地が深く切り込まれた渓谷となり、その姿は圧巻…!

松浦武四郎について
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 1818(文政元)年、現在の三重県松阪市の伊勢街道沿いに生まれる。17歳から全国を巡る旅に出る。長崎滞在中にロシアが南下していることを聞き蝦夷地見分を決意。    

 1845(弘化2)年に第1回蝦夷地探査を行う。その翌年に第2回、1849(嘉永2)年に第3階の探査を行い旅の記録をまとめ出版した。その記録を目にした幕府によって取り立てられ、1856(安政3)年から3年にわたり踏査を行いその記録をまとめて出版した。1858(安政3)年の第6回踏査後半の7月に渚滑川を遡る。

 アイヌを案内人として蝦夷地踏査をした武四郎は、自然と共生する独自の文化を持つアイヌに対して敬愛の念を持つが、同時に幕府の圧政によるアイヌの窮状を目の当たりにする。出版物にもそのことを記し、幕府にもアイヌの人々と文化を守るように訴えるが聞き入れられなかった。

 明治新政府になって開拓使判官に任ぜられると、「蝦夷地」に代わる新しい名前として「北加伊道」を提案。「北海道」の名付け親となる。しかし新政府になっても圧政が変わらなかったことから48歳で判官を辞し、公職を去る。

 その後は晩年まで各地を旅し、1888(明治2)年に71歳で神田に自宅において没する。

まちのあゆみ
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1906(明治39)年 渚滑村誕生

1918(大正7)年  滝上村分村

1932(昭和7)年  下渚滑分村

⇒1940( 昭和15)年、渚滑村に改称

1937(昭和12)年 渚滑村が上渚滑村に改称

1954(昭和29)年 紋別町、渚滑村、上渚滑村が合併し紋別市誕生

しょこつがわガイドマップ
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ウエンノツ

​【基線】

300間×300間を6分割したものを1区間として開拓したもの。(300間=546m) この地図では、5線、9線、15線、20線、26線、43線、52線のみ記載しています。

地域情報

6月から9月にかけて海岸線約5キロにわたり、ハマナスやエゾスカシユリなど50種類もの美しい草花が咲き誇る。冬は流氷を眺望することができる。

よつば乳業オホーツク北見工場

脱脂粉乳とバターの製造工場 

※工場見学はご遠慮願います

日本ではごく限られた地域にしか自生しない「氷河期の生き残り」といわれる希少種。冬から春にかけて小枝が赤く色づくが、3月頃が一番の見頃。

陽殖園

オーナーが60年以上かけて一人が作り上げた約8ヘクタールの「日本一変わっている花園」。春から秋にかけて約800種類の花々が咲き誇る。

林業で栄えた滝上町には、町内濁川を起点とする森林鉄道が昭和10年代に入って敷設された。本流線とオシラネップ線の総延長は65㎞を超えるまでになったが、・・・つづき

上藻別駅逓所は、1926(大正15)年に建てられ、1940(昭和15)年に廃止された。旅館として営業した後永く住宅として使用されたが、・・・ つづき

サクルー川を遡って行くと、かつてアイヌ民族が天塩方面に抜ける際に目印としたホール(洞窟)があると武四郎はアイヌから聞いた。 ・・・つづき

国道237号線で上川に向かうとかつては冬季閉鎖の浮島峠がある。1984(昭和59)年に開通した浮島トンネルは当時日本一長い国道トンネルであった。 つづき

縄文時代からアイヌ文化期の竪穴式住居跡。1万年前から人が住んでいる!

標高334m。山頂にあるオホーツクタワーに上ると眼下にはオホーツク海が広がり、天気の良い日には知床半島から大雪山連邦まで見渡すことができる。

セイコーマート

道内でも珍しい官設民営のセイコーマートがある。

 

日本でも珍しい街中の渓谷で、春夏秋冬それぞれの美しさを見せてくれる。

 

オホーツク海から道道305線を20km以上内陸に入ったところにあり、戦前から戦後にかけて「東洋一の富鉱金山」として栄えた。つづき

深場

大正時代に人々が集った景勝地

川口は武四郎が踏査した最深部。 上流部の北見富士近辺は洞爺丸台風で甚大な風倒木被害が出た。富士見峠には慰霊碑が建てられている。・・・つづき

おおむおむさrオムサロ原生花園
オムサロ台地竪穴群
よつば乳業オホーツク北見工場
化粧柳群落
紋別山(大山)
セイコーマート
陽殖園
滝上渓谷「錦仙峡」
森林鉄道遺跡
鴻之舞金山
深場
上藻別駅逓所
オシラネップ川
ホール
浮島湿原入口
松浦武四郎の足跡

オホーツク海と河口付近が見渡せる

江戸後期、渚滑川沿いで最も大きなアイヌの集落があった

16線川向かい。武四郎が来た時には大きな崖があった。(写真は夏と冬のチトカンヒラ)

遠くから見ると高くて三角錐の尖った山だが、近くから見ると低くて四角い不思議な山。

高い崖岩で上部に祠が見える。

川口は武四郎が踏査した最深部

武四郎の最終到達点付近にある。

立牛川

数キロ上流のウエンコタンにもアイヌの集落があった。戦前東洋一の金山と言われた鴻之舞に抜けることができる。

宇津々橋

付近には大きな瀬があり、昔は舟を上げる場所であった。ここの上部まで津波が来たことがあると伝えられている。

ホンヲサツナイ

ここから川の周囲が開けていく。エイシリがよく見える。

チャシコツ

台地の先端に壕で区切られた砦跡が残っている。武四郎が昼食をとった場所。

「神の石船」。昔はもっと大きかったが削られて今の形になる。アイヌの伝説では学問の神様がここで船を降りたとのこと。

「たきのうえホテル渓谷」裏手。昭和7年に堰堤(えんてい)ができたが、そのむかしはポロ(大きな)ソ(滝)があった。・・・つづき

ヘテウコヒ

渚滑川とサクルー川の合流点。入植がはじまった明治終わりに、「柳田初太郎」と名乗るアイヌが夏場だけ住んでいた。

渚滑川河口
立牛川
ウエンノツ
宇津々橋
チトカンヒラ
ホンヲサツナイ
エイシリ
チャシコツ
シラルンナイ
カムイポチ
オシラネップ川
ホロソウ
武四郎しょこつの道看板
ヘテウコヒ

​しょこつがわ連携研究会

当HPの掲載内容や資料に関するお問い合わせは下記へ syokotsugawa@gmail.com

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